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日常の中の「はっきり」と「ふんわり」
ふだんの会話や、メール・チャット・SNSの文章などで、私たちはよくこんな場面に出会います。
- 結論を先に言うと分かりやすい
- 伝えたいことは一つに絞った方がよい
- その場で即答することが求められる
もちろん、はっきりした言葉には分かりやすさがあります。
一方で、自分の気持ちや考えがまだ揺れているとき、
言葉もどこか、ふんわりした形しか出てこない、ということもあります。
はっきりと伝えることが大事とのメッセージが多い中で、
曖昧さを含んだ言い方をする自分に、何となく後ろめたさを抱えてしまうこともあるかもしれません。
こんなモヤモヤはありませんか?
少し、自分のことを思い浮かべながら読んでみてください。
- 自分の気持ちを話そうとして、「要するに何?」と言われてしまった経験がある
- 「ちゃんと言って」「もっとはっきり言って」と促されるのが少し怖い
- はっきり言い切るのが得意ではなく、ふんわりした言い方しかできない自分に、劣等感を覚えることがある
その結果として、
- 「うまく言えない自分はダメなのかもしれない」と、感じ方そのものまで価値が低いように思えてくる
- 曖昧な言い方をすることが、相手に対して失礼ではないかと不安になる
- ていねいに言葉を選んでいるつもりなのに、「結局どっちなの?」と言われて、スタイルそのものを否定されたように感じる
こうした経験の積み重ねから、
「はっきり言わない自分」への自己評価が、少しずつ厳しくなっていくことがあります。
「はっきり」だけを求め続けたときに起こること
視点を少し変えてみると、こんなことも起こり得ます。
- はっきり言い切ることを優先するあまり、自分の中でまだ揺れている部分を置き去りにしてしまう
- 強めの言い切りをしてから、あとで「本当にあれでよかったのかな」と心のどこかで引っかかり続ける
- 相手にも分かりやすさばかり求めてしまい、「まとまりきらない気持ち」や「言葉にならない感情」を話しづらくさせてしまう
明確な表現には力があります。
だからこそ、「言い切らなきゃいけない」「曖昧にしてはいけない」というプレッシャーが強くなると、
自分の本音も、相手の本音も、その圧力の下で少し息苦しくなってしまうことがあります。
曖昧さがくれる「考える余白」
ここであらためて、今回のテーマを整理してみます。
- きっぱりした言い方には、「理解しやすい」「方向性がクリアになる」という良さがある
- 一方で、あえて曖昧さや余白を残す表現には、「受け手に考える時間とスペースを渡す」という働きがある
曖昧さには、いくつかの機能があります。
ひとつは、受け手が「自分の経験や感情」を重ねていけるスペースになることです。
はっきりとしたメッセージは、「こう感じてほしい」が明確です。
曖昧な言葉は、読む人・聞く人が、それぞれの過去や感性を映し出す鏡のような役割を持つことがあります。
もうひとつは、一つの正解に縛られない安心感をつくることです。
「こう解釈しなければいけない」という圧が弱くなり、
「自分はこう受け取った」「私はこう感じた」という多様な理解の仕方が許されやすくなります。
心理学の世界では、「曖昧さ」に関していえば、
「多義性」や「曖昧さへの耐性」といった概念が語られてきました。
受け取り方が一つに定まらない状況に対して、
- ハッキリしないから不安だ、と感じるか
- いろいろな見方ができておもしろい、と感じるか
この「曖昧さと一緒にいられる力」は、
対話や芸術だけでなく、日常生活や人間関係を柔らかくしてくれる要素のひとつと考えられてきました。
曖昧な表現は、その曖昧さゆえに、
受け手側に「自分なりに考えてみる」、「自分と重ねてみる」というプロセスを、静かに促すことがあります。
この「考える余白」が、じわっと心に残る経験につながることも少なくありません。
今日から試せる「言葉の余白」の育て方
ここからは、「曖昧=悪い」と決めつけるのではなく、
どんな場面で、どの程度の曖昧さを活かすかを考えるための、小さなヒントを紹介します。
用途によって「はっきり」と「ふんわり」を分けてみる
すべてを明確に、あるいはすべてを曖昧に、という極端な発想ではなく、
次のように役割分担してみる方法があります。
- 約束、時間、場所、安全に関わること
→ できるだけ具体的に、誤解が起きないようにはっきりと伝える。 - 気持ち、感想、まだ揺れている考え
→ あえて余白を残しながら、ふんわりとした言い方も許す。
何かを伝える前に、
「これは明確さが特に大事な話か?」
「これは、曖昧さを大事にしてもよい話か?」
と一度尋ねてみるだけで、自分を責めずにバランスを取りやすくなります。
「まだまとまっていない言葉」を出してもよいと自分に許可を出す
気持ちを話すとき、いきなり完成した文章のように話す必要はありません。
例えば、こんな前置きを添えてみることができます。
- 「うまく言えないんだけど、なんとなくこんな感じで…」
- 「まだ自分の中でもまとまりきっていないんだけれど…」
- 「言葉にすると、こんなふうになるのかなあ」
こうしたひと言は、相手にとっては「これは途中経過なんだな」というサインになり、
自分にとっては「完璧でなくても話していい」と思える許可にもなります。
「途中の言葉」を出してもいい、と決めておくことで、
曖昧さを怖がる気持ちが少しやわらぐかもしれません。
読み手・聞き手として、曖昧さを味わってみる
自分が話すときだけでなく、誰かの言葉を受け取る側としても、曖昧さに触れてみることができます。
- すぐに「つまりどういうこと?」と答えを求める前に、「自分はこれをどう受け取っただろう?」と少し考えてみる
- 曖昧な表現に出会ったとき、「分かりにくい」と切り捨てる前に、「いろいろな解釈を許している言い方なのかもしれない」と一度立ち止まる
そのうち、
「この曖昧さは、自分に考える時間を渡してくれているのかもしれない」
と感じられる場面が、少しずつ増えていくかもしれません。
Summary
- 明確な表現には、「分かりやすさ」や「方向性のクリアさ」という力がある。
- 一方、曖昧な表現には、受け手が自分なりの経験や感性を重ねられる「余白」があり、多様な理解を許す安心感も生まれやすい。
- 心理学では、「曖昧さへの耐性」や「多義性」に触れられる力が、人の柔らかさや豊かな理解に関わる側面として注目されてきた。
- 大事なのは、曖昧さを排除することではなく、「どの場面で、どのくらいの曖昧さを許容するか」を自分で選べるようになること。
- 「はっきり」も「ふんわり」も、場面によってはどちらも、人を大切にする表現になり得る。
このブログやチルな散歩のコンテンツが、
はっきり言うことと、あえてぼかしておくこと、そのどちらにも意味があるのだと感じ直す、
静かなきっかけになれば嬉しいです。
今日から試せる小さな一歩
- 伝える前に、「これははっきり伝えることが大事な内容か」「曖昧さを残してもよい内容か」を一度たずねてみる。
- 自分の気持ちを話すとき、「まだまとまりきっていないんだけれど」「うまく言えないんだけれど」といった前置きを、意識的に一文添えてみる。
- 誰かの曖昧な表現に出会ったとき、「自分はどう受け取ったか」を少しだけ考えてから、「つまりどういうこと?」と尋ねるようにしてみる。
- 一日の終わりに、「今日はどんな言葉をあえて曖昧にしておきたかったか」を、メモに一行だけ書き出してみる。
- 「はっきり言えない自分」を責める代わりに、「今の自分には、まだ揺れている部分があるんだな」と、揺れそのものを認める言い方を心の中で試してみる。
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